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備忘録 

そうはいっても金だ。

激動期のお金と没落・出現

諦観から始める

見ているモノが違う

見方を変えるのか、見るモノを変えるのか

道具としての制度

副島隆彦氏 新刊の中国本から

中国人を理解するなら、

幇と不抱不平が必須だと。
幇は義。 義とは、仲間内の掟だけが守るべき問題。
不抱不平は、他人のことは、知らないことだと、割り切ること。
つまり、中途半端に関わるなら、関わるなと。
(上記は私の理解です…あくまで)

うーん。必読かも。
「中国、赤い資本主義は平和な帝国を目指す」
ちょっと、筆が迷っている(?鈍ってるんじゃない…)ところが感じられるが。

で、考えたのだけど、
ゲームの理論って、「義」に生きる人には通じないよね。

適正サイズ

松岡正剛氏と茂木健一郎氏の対談本 「脳と日本人」

松岡:
組織というものは、生物学的にも社会学的にも、それぞれの機能においてライトサイズがあると思っているのです。


なぜか、社会組織進化論だけは、「ともかく大きい方がいい」というようになってしまった。


たとえば士業の事務所の適正サイズは、どのくらいだろうか?
ワンストップと特化というのは、競争のお皿にのるのだろうか?

上記の松岡氏の論説は、その前に出てきた、茂木氏の以下の文と、私には繋がって思える。
茂木:
結局、すべてが一目で見渡せるような、いわゆるパノプティコン的な監視体制を作ることが、
すべての独裁者の夢なのですね。しかし、そのような完璧な監視体制は、決して成立し得ない。

パノプティコン; ウイキペディアより「邦訳すれば全展望監視システムのこと。全てを(pan-)見る(-opticon)という意味である。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所その他施設の構想であり、その詳細が記された『パノプティコン』が1791年に刊行されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3

組織を作るってことは、お山の大将になりたいってことで、他者と競争して勝ちたいと…
とすると、必然的に、独裁を(完全ではないにしても)心理的に求めるのではないか?
従って、組織は大きい方がいいと。

難しい問題だが、規模を追求すべきか、適正規模で行くか。
一番の問題は、人がその器をわかっていないってことかもしれない。
人間が考えることを、放棄できないなら、ほかの動物のような適正って難しいかもしれない。

人間が、自分の器を知るには、哲学するしかないが、哲学するだけの素地を持った人の数は
そんなに多くないかもしれない。
だから、大衆(多くの人って言うくらいの意味かな…)は、カリスマや独裁者を望むんじゃないだろうか。
プラトンの哲人を望んだふりをして…

年賀状仕分

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20071230-OYT8T00002.htm

年賀状を正月に出す…のではなく、配達される…
いつからそうなったのだろう…と書けば、ネットで引けば
http://www.nengahaku.jp/history-2.html
江戸時代にはあったよ…なんて、すぐにわかってしまう。

でも、年賀は、年賀であって、年の末にあえて、仕事増やす必要ないんじゃ?
お正月はゆっくりしたいから、そういうしがらみは早めに「すませよう…」そういうこと?

だとしたら、いつも言っている便利は不便。
利便は頭をバカにする。

そして、もっと凄くなれば、
年末のご挨拶と年始のご挨拶を一緒に、書いちゃう、なんって…

自分も、追われて、追われて…
(何に追われているか考えると、実はオバケなのだが、
仕事していれば、佳いんだよ〜っていう、思念オバケ)

干支からすると、来年は、終わりの終わり=始まりの始まり…
人のつながりは、よりいっそう大事にされるべきだが、
デジタルをアナログになおす…そういうのは止めたいなと個人的に思う。
アナログはアナログでないと。

昔、刑法の議論で、
科学が進めば人間性は明らかになるから法は人を律せるという考えと
それは、無理だから、社会的相当性で判断せざるを得ない、その相当性を
判断するのは、でも大変だから、重責なのだ…と
そういった議論があった(と、すごーく、いい加減に記憶している)
科学万能にどうしても、アレジーがあった。

点は面積がない。(みえないじゃん!)
線は、太さがない(みえないじゃん!)
わかる人にはわかるそうだ。

でも、普通の人には、どこまで、いっても、全体ー部分は不可分。
それを体感したい。

会館の設立 本社ビル…

たしか、著名なファンドマネージャーだったと思うが、
本社ビルを建てたら製造業は絶頂を過ぎたと…
下屋でやるのが一番と。

国会議員会館…すごいです。誰のお金?
本社ビルは自分で稼いだんだから…
私の所属会…新会館竣工だと。

てん…点。

そういうのってよくあります。
たとえば、タイムのマンオブザイヤーの表紙を飾ったらそろそろ…とか。
なんでだろう?

起業支援

起業ブームになるだろうということで
起業支援がはやっているように見える。

要するに市場拡大ということだろう。

起業なんて支援できるんだろうか?
会社を作ることを起業だというならできる。
でも、起業ってその後が大事じゃないか。

事業計画…
本当の問題は、魚を見つけることで、撒き餌じゃない。
マーケティングは、失敗したときのエクスキューズ。
そうじゃないって言い切れる人は凄いと思う。

起業は、天啓から始まる。
もちろん、今の事業を拡大するためにとか
独立した方がいいからとか、 あるだとう。
でも、それは 「起業」じゃなくて
事業拡大。 独立。 など ほかの言葉が妥当。

起業は、止むに止まれぬ 心の発露ではないか?

起業支援とは、そういう 心の発露があった人に
邂逅し、意気投合し、起業を事業に仕組んでいく、
そういうことではないだろうか。

だから、それ自体 天啓の元に 邂逅 を 得られるかどうか
そういう、ぎりぎりの問題だと思うのだ。

心=物=お金 って言うのは 今年初めから 考えてきたことだが
起業って、まさに 心が形になる そういう凄いことなのだ。

そういうことができる人、そういう人と仕事がしたい。

お金って…

■おカネって何?
おカネとは何か。答えは「富を表す単位である」――。こんな答えをもらっても、何の得にもならないし、意味もない。カネが「富を表す単位」くらいのことは、誰だって知っている。もっと違う視点からカネのことを考えなければならない。
「カネとは未来を買う道具である」――。こう言えば、よりすっきりとするだろう。
1000円でカツ丼を食べた。カツを食べた充足感とカロリーは、間違いなく入手できる。これは、自分で1000円の未来を買ったことになる。同様に、2500円でエッチ・ビデオを買えば、それを鑑賞するわくわくドキドキの時間を入手できる。
つまり、カネを支払うことで、人間は未来を買っているということがわかる。どんなカネでも、支払うたびに新しい未来を入手することになる。未来というものは、結局のところ、自分の意思で購入しているのだ。これは個人に限った話ではない。企業でも同じことが言える。原材料の購入にしても、新規投資にしても、それは未来を買うことなのだ。
カネとは、未来を買う道具であるということが理解できると、次には、「余裕」「ゆとり」の問題が出てくる。カネの余裕の話ではない。未来に対する余裕の話だ。
世の中に「ケチな大金持ち」という類の人間たちがいる。恐らくお会いになったことがあるだろう。1円のカネも無駄にせず、すべてを意味あるカネ遣いに回す一群の人々だ。彼らの多くは人生を楽しんでいるようには見えない。カネの遣い方に余裕がないから、人生にも余裕がなくなってしまうのだ。無駄を承知で夢を買う余裕こそが、本人も考えてもみなかった新しく衝撃的な未来を生み出してくれる。
それは、お薦めしないが、わかりやすく言えば宝くじを買うようなものだ。3000円の投資で3億円の夢を見る。特等に当選すれば、何と3億円ももらえるのだから、まったく新しい人生設計が展開されるかもしれない。
宝くじの話は、わかりやすい例として挙げただけで、決してギャンブルを推奨しているわけではない。ただし個人でも企業でも、「捨てカネ」は必要なものだ。その余裕がなければ、企業の存在意義、個人の生きている意味など見つかるわけがない。
■富の保有
「カネとは富を表す単位である」とは真実である。だが、富はカネでしか表せないかというと、そうでもない。
華僑の人々が貴金属を肌身離さず身につけているという話がある。これはオーバーな表現ではあるが事実だ。
華僑というのは、母国中国を飛び出し、世界の荒波の中を生き抜く人々である。
60余年間、平和で微温湯のような日本という国に育っているとわからなくなるが、世界中では今日なお戦争が繰り広げられ、田畑が壊され家が燃やされている。旧ソ連崩壊後のロシアでは、年間2000倍という超インフレが起きたし、南米諸国のなかには6000倍というインフレを体験している国もある。こうなると、「3億円もあるから一生優雅に暮らせる」と考えていた小金持ちたちは、びっくり仰天だ。3億円が30万円に目減りしてしまうからだ。
華僑の人々が、現金ではなく貴金属を身につけるという意味が理解できるだろう。だが、貴金属さえ持っていれば安心なのだろうか。
華僑よりも苦しい放浪の歴史を背負っているユダヤ人たちがいる。では彼らユダヤ人たちも、華僑同様に貴金属を身につけているのだろうか? 答えはNOだ。実際に筆者はユダヤ人の高僧に尋ねたことがある。「ユダヤの人々は貴金属を身につけて所持しているのですか?」高僧はにっこり笑いながら否定し、自分の腕をポンポンと叩いた。「貴金属の代わりに、腕に富をつけます」
技術、能力さえあれば、どんな時代でもどんな場所でも生きていける。その技術、その能力が優れていれば、どこでも優雅に暮らすことができるのだ。
■稼ぐより使え!
経済学を学べば理解できるが、消費すればするほどカネが入ってくるというのが原則だ。と書けば、「冗談じゃない。オレはものすごくカネを使っているのに、収入はないんだ!」と怒る方もいるかもしれない。
たしかに、何も作戦を立てずに使いたいだけ使えば、なくなるに決まっている。
……つづきは、またそのうちに。

10億っていい感じの数字

お金は、あって困らないからもらっておけ…

それはお金がない人の言い分じゃないかと、偉そうに昔から思っていた。
お金は有り余れば困るものである。

使うに困る。使うときみんながやいのやいの言うから使えない。
また、使い道も普通の人ならそのうち尽きる。
社会貢献?寄付するだけで自分の思うように(理想に)
お金が使われると考えているなら、税金や社会保険の問題は出てこない。
まして、政治資金など…

残すに困る。
相続争いが出てこない場合…それは、相続人が一人あるいはない場合。
些少の財産は争いにならないが、多大の財産は、(まあ見たことも聞いたこともないが)
争いにならない方が不思議だ。

維持するに困る。
持てば、減るのがいやなのは、世の常。
下手に動かせば、目立つし、大きくやられる。

さて、

でもお金は必要だ。

60で引退したら、80までで夫婦で約一億から一億五千万必要だと。
で、多少余裕を見れば、2億…
なら、2億でいいじゃないか。

ところが、通貨価値は、変動するし、数十年の間に
大変換があるかもしれない。
たとえば、敗戦で旧円が使えなくなったとか、
南米でドルを通貨にしてしまったので、自国通貨がなくなったとか…

株の暴落は、半値八掛け2割引で、高値の3割だと。(記憶不確か)

では、通貨はどうか?

暴落した通貨が全く使えない状態はあり得るが
一夜にして、体制崩壊がない限り、それなりの備えができる。
たとえば、外貨を多少しておれば、自国通貨が暴落しても備えになるだろう。

そうであれば、株に習って、最悪 3割になると。そう考えてみたらどうか。

とすると、2億の予算を 完全に確保するには、だいたい8億。
それだけあれば、通貨が暴落しても、ヘッジが聞く程度の資産だと、
そう考えられないか。

で、不安をあおるのは趣味じゃないし、じゃあ、8億円ってどうやって稼ぐ?
といわれても、答えはないが。

退職金XX千万をどうやって維持しようかとか、
年金がもらえないで、大変だとか…

そういうことを考えるなら、帰農してみようとか、そういった
大胆は発想の転換があってもいいのではないか。

多くの人が来年・再来年は世の中が大きく変わるかも…っていっている。
そういう中で、じゃあ、お金はどうよ…と考えたら、

目標10億、それ以上はやらない。(まあ、できないとも言うかもしれないが、
できないと決めたらその時点で終わりだ)

なぜやらないかは、それ以上は無駄だから。

今だって、それだけあれば、年間視力検査の域に達している
金利でも、何とか食ってはいける。カツカツだけどね。

視点を変えよう。

世の中を変えた人は、視点が違う。
世の中が変わるときに生き残った人は視点が違う。
世の中が変わったときに出てきた人は視点が違う。

そうは思わないか。

残る人は少ない…って言うことは、平均値からすれば
偏差の大きい人なのである。
つまり、視点・発想が違うのだ。

視点発想が違えば、それでいいわけではない。
天才が一般人に理解できないのを
一般人に理解ができない人は天才だ、といえないのと同じである。

でも、視点を変えないと、選ばれし人になれる可能性も出てこないのだ。


江戸時代の食糧自給率

検証中にて正しくないかもしれません。

江戸時代は食糧自給率100%だった。
と言う記述があるが、逆に、以下のリンクから察するに
恒常的に食糧不足で、みんなが平等にちょっと空腹が常態だったのでは?
と思い至る。
いま、金融の支配が究極まで行けば、
いったん逆戻りになる可能性はないか?

いまだって、全世界的に見れば、満腹と飢餓があって、
足し算すれば、過去の歴史でみんなが平等にちょっと空腹って事と
同じ程度の問題なのではないか。

だとすれば、空腹でない事を本当に感謝することと
歴史は繰り返すで、平等に空腹になる可能性が何時くるかもしれないという
危機感をもっと持つべきではないか。
http://www.pioneerf.co.jp/benkyou/koramu/bunshou/9kiga2.htm
引用:
古代から江戸時代にかけて起きた飢饉の数は分かっているだけでも370件程(3年に1度)と言われますから、人間の生活は飢饉との戦いでもありました。また飢饉の原因が食の不足ではなく社会システムの問題にある以上、これからの時代、飢饉は無いという理屈は成り立たないということに注視すべきでしょう。

金利のない世界?

時代が変わってくるときに、どんな心構えで行くべきかを
ハラに持つには、歴史が必須。

例えば、ちまたには、金利を取らない経済が良いという意見がある。
ミヒャエルエンデの考え方。
それは凄く良い考えだ。

ところで、利息っていつから発生しているのか?
☆ 江戸時代の貸し金に利息が付いているらしい…

ネットで金利の歴史ってひくと、いろいろ出てくるが、金利があることが前提だから
金利がない場合の歴史はない…そこも考えておかないと問題を誤る。

ところが、
ハムラビ法典にだって、利子を伺わせる記述があるそうだ。
だとすれば、貨幣があるのであれば利子は必然かもしれない

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